ワーホリ終わった人がどんな暮らしをしているか興味があるか?

改元前日

元号なんて興味ない感を醸しながら生きてきたのだが、もうそんなのは無理、無理です。だってこんなお祭り感って無くないですか?これはさ〜特別って感じがする。年越しなんてもはやハロウィンパーティーと同じ枠に入れても問題ないかもしれないけれど、改元は十数年に1回のレアイベントだよ。面白い。夕方5時からなんか儀式するらしいじゃないですか。神様にお話するんだよね。すっごいすっごい。そんな宗教的なことを国の一大事としてやるなんて、すっごいすっごいだよ!よその国が宗教戦争をしていても宗教のすごさを心から感じたことはなかったけど、自分の国でこんな風にされると、やっぱり宗教ってすごいんだな〜と思う。重要なんだね。すごい。語彙が貧しい平成最後の日。

ところで、全く話の格が違うのだけど、平成にやり残したこととしてルービックキューブを自力で揃えるという目標があったのでチャレンジしていた。結論から言うとできた。やったあ。ただ、自分で構造を理解した上で解法を導いたのでは無く、たくさん動かしてブロックの動き方をパターン化する方法でといた。特定のブロック配置にコントロールすることはできないので、そこまでは運や感覚的な要素で揃え、ブロックがたまたま欲しい位置に来たらパターンを使用して解くので時間はかかる。多分30分くらい。ただ解けるものは解けるし、自力でやったのは自力でやったのだ。これで安心して新時代迎えられます。

平成ってどんな時代でしたか?と問われたらなんて言うかな。衣食住に困らない時代で、のんびり暮らしていました。って感じですか。個人的にはそういう感じでした。

 

恋愛について考えるのやめたい

彼氏と別れた後数日はなんだか悲しくて、よく泣いたりもしていたけど、気を紛らわせるためにyoutube勇者アベル伝説を見ていた。幼稚園から帰ってきて、カートゥーンネットワークかなんかで見てたなと懐かしみながら。でももう1倍速じゃどうにも遅くて(40話以上あるし・・・)、1.5倍速くらいにしてしまうことがなんとなく大人になってしまったなぁと感じるところでもあり、少し寂しかった。勇者アベル伝説を視聴している間は別れたことも思い出さなかったし悲しくなかった。ありがとうドラクエ。本当にドラクエは偉大。BGMを聞くだけでワクワクしてくるんだもの。デイジィ可愛い。それにひきかえヒロインはなんだ。名前も思い出せないし、youtubeのコメント欄の荒れの原因はほぼお前だよ。「来るな!」と言われたら行くなよ。それから、エンディングがいい。徳永英明「夢を信じて」。なんでだろうな〜、記憶がちょっとあるから加点されるのかなぁ。小さい頃のワクワクに、大人になっても助けられる時があるんだよ。あまり聞きすぎると慣れちゃうから、あんまり聞かないようにしようかな。別れて一週間は気分によって泣く日もあれど、1ヶ月経てばそんなこともなくなった。インストールしてみたマッチングアプリもなんだか面倒でアンインストールした。そこまでして出会いたい気持ちになっていない。いずれもう一度やってみてもいいけど、私のような無精者に知らない人とメッセージを送りあって会うなんて高度なことできるのか?想像しただけでメンドくさい。この面倒くささを凌駕するほどの人恋しさというものもいずれやって来るのかもしれない。今はまだわからない。ここしばらくの間、少し前に知り合った(アプリではない)高校生くらいの年代の男の子から毎日メッセージのやり取りをしている。賢くて、可愛い。私は年上に頼るという経験をあまりしたことがないのだけど、年上って年下に甘えられたら可愛いから、コミュニケーションをとることは特に苦痛ではないのかなという今更な気づきがあった。今後もっと年上を頼ってみようかなと思っている。その子はかなり若いから、できるだけ有用な情報をさりげなく、沢山提供していきたい。どんどん成長してほしい。ほっといても成長する器だと思うが。

ああ、皆さん、そこにいるのかいないのか分かんないけど、私はアラサーだよ。でもさあだから何って感じだよ。インターネットは年齢と恋愛にまつわる悲しくなるようなことを一杯教えてくれるけど、それって現実なのかな。前の会社ではさ、男女ともに30歳までは相手を選べるけどそのあとは無理だよって話をよくされてたけど、そんなの本当なのかな。ていうか相手を選ぶってなんなんだろう。好きってそういうものなのかな。奢ってくれなかったからイヤってなんだよ。人付き合いにおいてそんなカスな理由があるか。乗り越えられない壁は存在すると思うけど、どこもかしこも壁だらけなんてことはないと思うんだよ。付き合ったって結婚したって最終的に問題は自分自身でしかないし、一人で生きていけるという強さがまずは必要だと思う。私はそんな強さを手に入れることができるのかな。分かんないことばかりだけど気合い入れて行くしかないんだよ。ああ、難しすぎる。なんだよ恋愛ってそんなものだったのかな。知るか。他人と比べるな。人は皆一人なんだよ。もうくだらないから恋愛のことなど考えたくもないのだが、私の脳は恋愛のことをとても気にしてしまう。もうおいておきたい。もういいよ。マジで。

 

就活頑張るぞ〜の日記2

前回の記事は3ヶ月前に書いたらしいが驚くなかれ、今も無職である。そろそろ有職になりたい。有職になりたいというか金が欲しい。

応募した5社で辞退と不採用を繰り返した。最近は応募もしていなかった。今後関わることもそれほどないだろうと思っていた親のスネを齧り始めた。10年近く付き合った彼氏とも別れた。なんだ、、なんだこれは。まあそれはそれで悪いことばかりではない。自分一人であることは進路決定において条件が減り、少し簡単になる。あまり複雑だと自分の手に負えなくなるのだ。寂しいけれど仕方がない。それが私の器なんである。少し簡単になったり、人生への期待が薄れてきた結果就職へのやる気が出てきたというのが実のところです。身の丈って大事なんだなと思った。

金銭的に自立して、気の合う人間と同居して、「牛乳買ってきて」がやりたい。私の希望はそんなことなのかもしれないなぁと思うに至りました。

就活頑張るぞ〜の日記

TOEICの結果が出た。750点だった。決して自慢はできないがまあ悪くはないのではないか。これが就活に生かせるかと問われれば少し微妙かもしれない。しかし一年いった程度でまあまあ伸びるものだな。行く前は450点だった。

さて就職をしなければならない。ワーホリ中はそれなりになんとでも生きていけようという気分で、今もそれなりになんとでも生きていけるとは思うのだが気持ちが少し重くなってきた。今後私は健康に働けるのだろうかとか、いつ出産するのだろうとか、最終的にどこに住もうかとか。それに仕事と言われるとオフィスのプラスチックの匂いだとか工場の情景が蘇ってくる。あの時に感じた、日々をやり過ごすばかりの生活の陰鬱とした感情に心が囚われる。しかしここで踏みとどまらないといけない。人間は印象や感情に騙されやすい。騙されやすいんだぞ!

冷静に自分のできることを洗い出す。希望を洗い出す。どんな業種にするか、どんな人生を理想とするか。着実な一歩を。1回目の就職はなんの努力も分析もせずただ企業説明会に参加しポンと合格をもらった。それは働く上での心構えに大きく影響しただろう。次の就活は私が出来る手を尽くしたい。納得感が大切だ。

最近、自分がいわゆる「何者か」になれないということについてなんだかものすごく腑に落ちた。昔おばあちゃんに「毎日労働して、普通に生きて死んで行くのが嫌だ」と漏らしたことがある。「生活とはそういうものでしょう」と、なんでもないように言い切った私のおばあちゃんは本当に偉い人だと思う。出来ることをコツコツとやって行く。

 

 

現時点で思う幸福

お気に入りの音楽が見つかって気分がいい。私の脳、こんなに簡単に気分が変えられちゃって、バカみたいだ。でもバカな脳だから今まで生きてこれたんだと思う。感謝。

自分が死ぬまでは生きている。そしてある程度ではあるが自分で変えられるのはどうも自分だけらしい。それだけが確かなんだよな。だから大事なのはよく寝て、よく食べて、なるべく健康にしておくこと。私は健康が好きだから。

自分がどう生きるかというのは自分が好きなようにすればいい。でも私の存在が他の事物との関係との間にしか成り立たないのであれば、それらを大切にすることは自分を大切にするのと近いと思う。あまり変なことは言いたくないのだが、最近不思議に思うことがある。私たちは生物がいなかった地球にだんだん生物ができたり進化したりして今に至る。元はただの原子の粒だったのに、今私はこんなになっちゃって、あなたもあなたになっちゃって、でも私が私として意識があることとか、あなたがあなたとして意識があることって不思議じゃないですか?わかんない、なんかすごいですよね。実は私はあなたなのかもしれないと勘違いしそうになる。皮膚が境になるし、眼は他人を捉えるから自分と他人とは違うものなのだとつい捉えてしまうが。

自分がやりたいことならできる。できるというのは実行に移すというレベルでのできる。私がワーホリに行ったのだってやりたいからできた。やりたくない人にはできない。あなたがそれをやっているのはあなたがそれをやりたいと思ったからにすぎない。テレビでどんなにすごい人がいたって、その人がそれを続けているのははじめにそれをやりたいと思ったからに過ぎない。評価するべきはそれをやっていることそのものではなく、その人がそれをどのようにやったか、極めたかだけ。あとは自分の趣味嗜好による好き嫌いの判断が生じる。私はその人のやりたいことが他者に役立つところにつながれば好感を持つ。その人は私のやりたいことのある種協力者だ。自分のやりたいことをやって、それを極めて他者の役に立つようにする。そうやって生きたら私は私の人生に納得するような気がする。

自分の生に対して納得していれば幸せだ。

大げさな健康体

死を意識したのにもかかわらず、通いつめた病院で診断されたのは逆流性食道炎だった。喉と胸が圧迫されて、ものを飲み込むのが辛くて、呼吸がしにくくて、心臓がドキドキして、立ってるのもやっとだったのに。食道炎らしい。あ〜なんじゃそりゃ。

診断がつかない間家族に病歴を聞いた。祖父は3回、父は2回死にかけていた。結核とかガンとかで。祖父は医者に死の宣告をされたらしいが、別にショックでもなかったらしい。よく人が死んでたから。生きる事に期待も絶望もしていない。尊敬する。

死ぬときは死ぬし、死なないときは死なない。

 

病院に通っている

最近病院に通っている。通っているといっても何か特定の病気の治療のために通っているわけでは無い。治療すべき病気の発見のために通っている。症状はあるのだが原因が分からない。なんだかんだとひと月は経とうとしている。

私は割と健康な方だった。風邪はひくがその他は殆ど病気になった事はない。大きな病気になった人の気持ちは分からなかった。テレビや何かで耳にしても、大変だな、と月並みな感想を持つ程度。真剣に考えた事などなかった。しかし今原因不明の症状を抱え病院に通う立場になると、これがなかなか不安である。症状をGoogleで検索すると軒並み重病人のブログが出てくる上、最新の記事が「旅立ちました」であるとか2016年で更新がストップしているとなると本当に、誰にも頼れない寂しい気持ちになる。こんな世界があったのか。経験しなかった事は知ることが難しい。

病院から出てくる中年男性の持つ薬の束を見る。ああこの人も、何かを抱えているのだなと思う。よくよく考えたら世の中の多くの人が何かしらの病気になって、病院に通っているような気がしてくる。みんな私の知らないところで闘っているのか?自分の痛みは自分しか知ることができない。

私はまあ、通うしかないからこの先も通う。いい医者に当たりたいが、いい医者に当たるなんてどうしたらいいのかも分からない。病院を変えて違う先生に診てもらうのも、一体その病院の医者が良いのかも分からないし、判断基準も分からない。人当たりが良い医者が病気をよく診れる医者とも言えない。ある程度で諦めるしかない。当たりハズレが分かりにくいガチャを引くのは躊躇われる。