ワーホリ

病院に通っている

最近病院に通っている。通っているといっても何か特定の病気の治療のために通っているわけでは無い。治療すべき病気の発見のために通っている。症状はあるのだが原因が分からない。なんだかんだとひと月は経とうとしている。

私は割と健康な方だった。風邪はひくがその他は殆ど病気になった事はない。大きな病気になった人の気持ちは分からなかった。テレビや何かで耳にしても、大変だな、と月並みな感想を持つ程度。真剣に考えた事などなかった。しかし今原因不明の症状を抱え病院に通う立場になると、これがなかなか不安である。症状をGoogleで検索すると軒並み重病人のブログが出てくる上、最新の記事が「旅立ちました」であるとか2016年で更新がストップしているとなると本当に、誰にも頼れない寂しい気持ちになる。こんな世界があったのか。経験しなかった事は知ることが難しい。

病院から出てくる中年男性の持つ薬の束を見る。ああこの人も、何かを抱えているのだなと思う。よくよく考えたら世の中の多くの人が何かしらの病気になって、病院に通っているような気がしてくる。みんな私の知らないところで闘っているのか?自分の痛みは自分しか知ることができない。

私はまあ、通うしかないからこの先も通う。いい医者に当たりたいが、いい医者に当たるなんてどうしたらいいのかも分からない。病院を変えて違う先生に診てもらうのも、一体その病院の医者が良いのかも分からないし、判断基準も分からない。人当たりが良い医者が病気をよく診れる医者とも言えない。ある程度で諦めるしかない。当たりハズレが分かりにくいガチャを引くのは躊躇われる。

 

わからんよ

外国人の友達が日本に来たのでひと月ほど国内旅行をして来た。知らなかったのだが各地に無料のキャンプサイトがあり、飲み水もカマドもトイレも、確保が簡単だった。そしてある程度の大きさのスーパーに行けば必ずと言って良いほど無料の氷が手に入る。これも重宝した。感謝。

普段と違う行動をすると普段と違う人と出会える。生まれてこのかた日本でキャンプなぞしたことがなかったのだが、キャンプする人って少なくないんですね。中には半年間滞在を続けている人もいた。それから80代の男性を何人も見た。ワンボックスカーを改造してベッドを乗せた車で旅をしていた。各地の温泉を渡り歩いていたがこの辺りは近くに無料の良い温泉があるので長期滞在しているという。さらには周辺でキノコを採取する話やニジマス釣りの話を聞かせてもらった。楽しそうな生活だった。こんなに縛られない人生があるか。

私が、いわゆる普通の生活というものを想像するとき、就職、結婚、出産、そして子供が無事に巣立つまでの様子をイメージする。定型で、自由がない。そしてそれは窮屈そうな印象を伴う。疲れた大人の顔、愚痴、ワイドショー。そんなものには参加したくないと思う。しかしその認識は正しくない。実際は全てが自由で、選んでも選ばなくても良い上に、楽しい就職、楽しい結婚、楽しい子育てにもなり得るのでしょう。全てがカスタマイズ可能で、即興で乗り越えていく日々は窮屈なのか?

大人としての責任を果たすというような考え方がある。責任とはなんだろう?日本国民である以上、納税と勤労に関してはした方がいいと言えるが、それ以外のことは???なんだよな。個人の考えとしては、日本を維持するために子供を産んだ方がいい。子供が少なくては国が栄えない。国が傾いた時に割りを食うのは今の世代ではなく未来の人間たちだと思う。いろんなことが国のためとか人間は社会的な生き物だとかっていうことでよく説明できるんだけど、そういうデカイ話を持ち出すといろんなことが怠くなる。家庭とか出産とかだるい、窮屈だ。昔の人間たちのことを考えるとわたしの集団への貢献度が低すぎて頭が上がらない。昔の人は暇じゃなかったからこういうことを考えなかったのかな?それとも同じように考えていたのでしょうか。

一歩引いてなんの責任も考えず、誰のためでもなく自分のためだけを考えてみると、いろんなことが面白そうだと感じる。だからそういう感じで気楽にやっていったらいいのかなと思った。足踏みで靴底を減らすのは勿体無いようにも感じるから。

 

ラブレター

同居中のカナダ人の思い出。

この農家に滞在し始めて間もない頃。とある休日、洗濯をしようとランドリーに行くと、彼女はランドリーの片付けをしていた。衝撃だった。私が考える私は働き者で、人より少し多めに働いてて、勤勉な日本人のはずだった。各国の若者たちの評判をあちこちから聞きかじっていた私は正直言って自分を高く、他人を低く見積もっていた。だけど目の前で、カナダから来てる年下の女の子が休みの日なのに働いている。しかもその動機が「ただホストのためにやりたいから」だと。これは、自分がかなりの働き者だという謎のプライドを持ちつつ、仕事だる〜と思いながらダラダラ働いていることをまじまじと観察させられる経験だった。その後も彼女は常に仕事を的確にテキパキとこなした。しかも同時に、どんどんとホストと仲良くなり、信頼関係を築いていた。英語を理解しない私にさえ理解できるほどに明らかだった。人間が出来ている。こうして私はそんなに働き者でもないし、仕事もトロいし、コミュニケーションにもはっきり言って難があるということがわかった。そんな私の動揺を知ることもなく、彼女は楽勝と言わんばかりにスイスイと進む。私にとって彼女は無理難題を楽々こなす超能力者だった。

彼女は18歳の頃から世界のあちこちを旅をしている。身なりはさほど気にしないがどこか品の良さを感じさせる振る舞いをする。でも呆れるほど奔放。エネルギッシュかつ老成している。親の仕事の都合で住んだヨーロッパで通っていた高校は辞めた。大学も通っていたが今は休学中で最早戻る気はない。彼女の心は自由だと感じる。彼女は彼女のルールに従って生きている。だけど誰もそれを知る由もない。ティーンエイジャーの頃から書き溜めている日記だけが彼女を知っている。18の頃から23の今日まで、彼女は一体何を考えて生きて来たのだろう。そういうことに興味を持たせる存在。

英語が話せない上に臆病者の私は、この農家に来てしばらくの間、彼女が毎朝言ってくれる「How are you?」にもうまく答えられなかった。不愛想な上に何もアクションを起こせず、自分の存在価値を相手に示すこともできない。それでも少しでも興味を持って欲しかったのでとある朝意を決し「Good morning, sweet maple syrup!」と呼びかけた。毎日毎日飽きもせず無口、話しかけても話を聞き取ることすら出来ないアジア人に突然謎の呼びかけをされた彼女は、立ち止まり数秒空を見上げて考えた後、大きな口を開けて笑った。私の隣に座っていた他の同居人も笑っていた。どうやらうまくいったらしい。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。嬉しい経験だった。その日からしばらくはその場にいた人たちは彼女をsweet maple syrupと呼んだ。

そんなスウィートメープルシロップはこれまで私にとって大きな窓になってくれた。そこから他の国の文化を眺めることができる偉大な窓。自分がどれだけ元いたコミュニティに影響されているかを再認識させてくれる。いつも通りの思考に疑問を持つことを促してくれる。数ヶ月共に暮らすことが出来たのは本当に幸運だったと思う。ついに彼女は明後日このファームを去る。今日一緒に見つづけていたStar Warsを最後まで見きった。初めの頃は一緒に映画を見れるなんて想像だにしなかったな。嬉しいな。もちろん彼女はみんなにめちゃくちゃナイスで、クソな私は独占欲などにより時々それにヘコむんだけど、まあ少なくともナイスのその要素は私の中に取り入れられるようにしたい。

ラブレター書いてる気分だ!ははは。

目新しい発見でもないですけど

実は今、前と同じガーリック農家に来ている。というか来てすでに1ヶ月半経過した。前回よりも英語が分かるので話についていくことができて楽しい。世界の解像度が上がった。一緒に働く人たちの性格も、以前考えていたのとは違っていたりして良くも悪くも新たな発見が沢山ある。今回はとある一人のカナダ人と一対一で話す機会が多い。長期間共に生活することでお互いに力が抜けた自然な状態で、手厚く扱ってもらったり、無下に扱われたりするのはなかなか面白いなと改めて思う。その人の行動によって生じる私の感情は、一定の視点からその人を見ることを許さない。何かしら新しい感情に出会うたびに、その人のことを少し違う人間として扱うようになる。

こいつ嫌な奴だな!と思ってもすぐに諦めない方がいいな〜と思った。面白いから。

連続

田舎に引っ越した。12人くらいでシェアハウスに住んでいる。家は設備も整っていて、機能面は人生で一番の家と言っても過言ではない。近くのスーパーに行って少し良い食品を買う。これまでの旅行で出会った人に教えてもらった美味しいものを選ぶ。これは日本だと、好きな時にトンカツを食べられるよりももう少し裕福な暮らし。シャワールームが広い。インターネットが速い。私はwifiが好きだ。wifiがないと喉の渇きを感じる。wifiさえあればテント暮らしでも良い。だから今は嬉しい。最近クリーナーの仕事を手に入れた。ボスはワニ皮のベルトをしたファンキーな60代後半の女性だ。職場まで遠いから自転車を貸してくれた。光がよく反射するベストも準備してくれた。どうもありがとう。先週アボリジニの子どもに梨のかけらを投げられた。嫌だったけど、これくらいの嫌なら問題ない。心がざわつくこともままあるが、その何もかもがアトラクション気分というか、どこか「まあいいか」と思う。この街で起きる事のほとんどが、期間限定の付き合いだからダメージも少ない。私は現実逃避が好きだ。だから旅行が好きだ。新鮮さは素敵な刺激だ。ポケモンの緑バージョンも「はじめからはじめる」ことに楽しさを感じた。そんなことを思い出す。それでいいのかとかそういうことは今は少し置いておきたいが、逃避だということを、期間限定だということを気楽に思う自分は面白くないなと思う。

時間な〜い

実はもうガーリック農家は出ていて、バックパッカーホステルでうだうだするなどしている。前にいたシティのホステルは日本人が沢山いたのだけど、今のホステルには全くいない。むしろアジア人が少ない。やはり人種は固まりがちだと思う。合理的だけどどことなくつまらなくも感じる。つまらないと感じるのは、それが日常だからであり、オーストラリアに来て8ヶ月ほど経つ今でも日本人と暮らすのは相変わらず日常なのだということに少しがっかりしてしまう。打開できていないのだ。未だに話しかけてすぐに仲良くなれるのは日本にすごく興味がある人か男性かの二択。そして日本に興味がある人は総じてアニメ好きなので会話といってもその程度。エヴァンゲリオンはアスカ派です。私の人間性は?あなたの人間性は?英語の問題もある。英語の問題じゃない部分もある。そもそも日本語で話したところで、私の裸の人間性をさらけ出せるような心の強さも素直さもないのだし。自分の将来のこと、濁していること、自分の核について話している時、涙が出てきてしまう。腹をくくれ、腹をくくれ。

旅行は

旅行は若い時にした方がいい。今滞在している農家で出会う旅人たちは成熟して、自分一人で立っているように見える。自分が何を求めているかはっきりしていて、それを態度に示す。余裕があるときは他人の手助けもする。必要な仕事であれば嫌がったりしない。お酒、音楽、映画、読書を楽しむ。新しいことを学ぶことの良さも、のんびりリラックスすることの良さも知っている。他人に自分の考えを明確に述べることができる。何に楽しみを感じるかわかっているということは、当たり前だけど大切だと思う。それは自分の行動の指針になるから。旅行を若い時にすると、自分で主体的に行動しなければいけないからその能力が伸びる。感受性が豊かな時に様々な行動指針を持った人に出会える。結局人間は、別の人間と会うことで磨かれる部分が多いと思う。

私は自分が何を好むのか、霞がかかったようにぼんやりとしか理解していなかった。新しいことに出会うのが好き、多分。旅行が好き、多分。友達と過ごすのが好き、多分。でも今、いくつかはっきりと好きだと断言できることがある。綺麗な夕焼けを見た時にお互いに教えあって、日の入りまでの十数分一緒に見るのが好き。美味しいごはんが好き。TVはない方が好き。食卓を囲みながら会話をするのが好き。好きな音楽を聞きながら友達と車で移動するのが好き。川で泳ぐのが好き。裸になって泳ぐのもなかなか楽しい。ハッキーサックをするのが好き。一生懸命働いて疲れた後、友達とビールを飲むのが好き。沢山のブランケットに包まれながら友達と一緒に映画を見るのが好き。そのとき隣から感じる体温がとても好き。今まで集団から外れて、一人で行動するのが好きだと思っていたがどうもそうとは言い切れないらしい。

最近毎日が楽しい。嬉しくて泣きそうになる。