カナーボン

パースからバスに乗って13時間、カナーボンに到着。シェアハウスのオーナーであるジョンティと駅で落ち合った。新型のベンツに乗り、高級ブランドの服を着ている24歳の青年。本業の傍らシェアハウスを数件運営していて、お金の入りがいいらしい。

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iphoneで見ると2cmなのにマジで遠かった

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田舎だ〜

シェアハウス

カナーボンの高級住宅街にあって、卓球台まであるおしゃれな家だった。wifiも高速で、オーストラリアの貧弱なインターネット環境に辟易としていた私、大歓喜。シェアメイトは日本、中国、ドイツ、レユニオン島出身の人たち。中国が一番多かった。家賃は3人部屋で週$110だった。

滞在中はなんの文句もなかったけど、退去の時に初期費用を全然返してくれなかったのは困った。でも契約内容を全て保存していたし、諦めずに主張し続けたかいもあり、1ヶ月後には無事に返金してくれた。言いたくないからって黙っていたら損をする。
職探し

シェアハウスの同居人を頼ったけど仕事はなかった。スーパーマーケットの掲示板を確認するも良い情報はなし。しょうがないから自転車を借りて、直接農場を回ることにした。30℃越えの炎天下の中、だだっ広い田舎道を6時間ほど駆け回ったけど「今は手が足りてる」「再来月なら仕事があるかも」とあしらわれるばかり。マンゴーの木も、トマトも、オーストラリア特有の赤い土も見るのが嫌になって、ヘトヘトになりながらどうしたら良いか考えあぐねていると、シェアハウスのオーナーのジョンティから連絡が入った。「I have a job I can recommend」

なんでも良いからお金が欲しかったので、紹介してもらうことにした。家を借りる人が長期滞在した方がジョンティ的にも嬉しいので、仕事を紹介することもあるようだった。

仕事

内容はハウスクリーニングだった。ボスはワニ皮のベルトがよく似合うファンキーなおばあちゃん。口癖は「Thank you」と「Fuck!」で、ず〜っと言ってた。好きだったなあ。一緒にいるだけで嬉しい気持ちになれる人だった。

仕事の時給は$22.4。フルタイムジョブだった。ワーホリで働く人は低賃金でこき使われることも多いので、この時給で働けるのはすごくハッピーだった。

食事

自分で作るのがほとんどだった。あとはいつも通りシェアメイトの食べ物をもらったりしていた。たまには友達とバーに出かけることもあった。キッチンがしっかりしていたので、自由気ままにやっていて、楽しくもあった。

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シェアメイトが作った中国料理

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シーフードのフライとサラダなど

英語

相手が少しゆっくり喋ってくれれば理解できるレベルになっていたので、日常生活で困ることはなかった。アジア人同士が拙い英語でやり取りした事は、喋る練習になった。

仕事でしゃべることはほぼ無かったし、家ではよく日本の映画やアニメが流れていたので、英語に触れる量が減った。

 


カナーボンには、タスマニアメルボルンよりもアボリジニが沢山住んでいた。正直人種でどうとかはわからないけど、ジョンティはめちゃめちゃ差別するほうだった。

スーパーマーケットで買い物をしている時、小さい子供に食べかけの梨を投げられたことがある。アジア人だし、女だし、弱そうだったからかなと思う。そういうこともあって、人種について考えるきっかけになったのはカナーボンだった。

しばらくの間働いていると、Old School Farmから「忙しいから働きに来ない?」との連絡が来た。正直仕事も気に入ってたしかなり迷ったけど、行くことにした。なぜならそこには幸せがあるから。あと、もう少しちゃんと英語に触れていたかったから。

折角だから西オーストラリアを満喫してから帰ろうと思って、まずは北に向かった。

というわけでカリジニ国立公園とブルームへGO。